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書評:『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー)

書評
・どんな本?
世に蔓延る何のためにあるのかわからないクソ仕事(ブルシット・ジョブ)の存在を明らかにし、ブルシット・ジョブに従事する人の苦しみや、なんでそんなものが存在するのかを論じた本。著者のグレーバーは、反グローバル経済の活動家でもある、今勢いのある人類学者だ。この本の後半は人類学的見地から「仕事」そのものを捉えなおすような内容になっている。
 
・「ブルシット・ジョブ」ってなぁに?
この本の第一章では、まずブルシット・ジョブを定義する。
ブルシット・ジョブとは、「本人でさえ正当化できないくらい完全に無意味・不必要で有害でもある有償の雇用の形態であるが、本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている仕事」である。
ここで、有害な仕事だが本人が自覚的であったり、単に待遇や職場環境が悪いという意味でのクソな仕事は、ブルシット・ジョブには該当しない。
なお、「ブルシット」は、日本ではあまり馴染みはない言葉だが、「でたらめ」、「くだらない」といった「欺瞞」のニュアンスを含む(下品な)スラングだ。この言葉の意味するところを深く論じた本としては、『ウンコな議論(原題はOn Bullshit)』(ハリー・フランクファート)がある。
ブルシット・ジョブは、必要とされてないくせにお給料は良かったりする。ブルシット・ジョブに従事する人は、まさにこの点で苦しむことが多いのだが、これは奇妙な話である。
経済の原則からすれば、働かずにお金がもらえるのは嬉しいことであるはずだ。というか市場原理からすれば、そもそもそんな仕事は生まれないはずだ。
なぜブルシット・ジョブが生まれるのか?そこにはどんな力が働いているのだろうか?
 
・ブルシット・ジョブの種類
第二章では、ブルシット・ジョブを以下の5つに分類する。
1 フランキー(取り巻き)の仕事
だれかを偉そうに見せるだけの仕事。ドアマンやお飾りのアシスタントなど。
 
2 グーン(脅し屋)の仕事
他人を操ろうとしたり脅しをかけたりする仕事。ロビイストや企業の顧問弁護士、コールセンターの従業員や、他人を不安にさせた後に商品を売り込むようなマーケターなど。
 
3 ダクト・テーパー(尻ぬぐい)の仕事
組織に欠陥が存在するために、その欠陥を解決するためだけにある仕事。一部のソフトウェア開発者など、その気になれば簡単なシステムの見直しで解決できる問題を場当たり的に解決するためだけに雇われた人。
 
4 ボックス・ティッカー(書類穴埋め人)の仕事
ある組織が実際にはやってないことをやってると主張するための書類を作るだけの仕事。誰も読まないプレゼン資料や報告書などの書類を作ることに業務の大半を割かれるオフィスワーカーなど。
 
5 タスクマスター(ブルシット・ジョブ量産人)の仕事
もっぱら他人へ仕事を振り分けるだけの仕事。また、ブルシットな業務をつくったり、ブルシット・ジョブを監督する仕事。一部の中間管理職など。
 
・ブルシット・ジョブをしている人の苦しみ
第三章、第四章では、ブルシット・ジョブによる精神的暴力について考察する。
例えば、意味のない仕事は、その仕事に従事する人を惨めな気持ちにさせるだけでなく、時には脳に損傷を起こすほどのダメージを与えるのだという。
人は、自分の行動が何かに影響を与えて結果が得られるという広い意味での「仕事」に根源的な悦びを感じるように出来ている。
ブルシット・ジョブは、人からその喜びを取り上げる精神的暴力だと言える。
 
なんでブルシット・ジョブは増えている?
第五章、第六章では、近年ブルシット・ジョブが増えている理由や、なぜこの問題が放置されているかについて考察する。
これには、個人的な次元、社会的・経済的な次元、文化的・政治的な次元の異なる次元の理由がある。
例えば、以下の理由が挙げられる。
近年の金融資本の増大に伴い、金融や情報関連の(ブルシット・ジョブに発展しやすい)仕事が増加したこと。
また、近年において、「雇用創出」は良いものとされており、無駄な仕事であっても雇用を減らすような大胆な政策を選択しにくいこと。
また、宗教・道徳的な観点でも、働くことはそれ自体が良い目的とされ、怠けたりサボることは倫理にもとる行為とされている。従って、価値の低い仕事でもないよりはマシであり、ヒマであっても大っぴらにそれを明らかにすることは良くないという感覚が存在すること。
 
・やりがい搾取とブルシット・ジョブの密接な関係
第六章では、特に仕事の「価値」に注目している。
社会的価値の低いブルシット・ジョブが高給であったりする一方、社会的価値の高いエッセンシャルワーカーの給料が低いという問題がある。奇妙なことに、労働の社会的価値が高まるほどその仕事の経済的価値が下がっているようだ。
その考えられる理由の一つとして、世間にはどこか、教師などの社会的価値が高く尊い仕事は、お金目当ての人間が行うのはふさわしくないと考える風潮がある。これは言い換えれば、社会的価値の高い仕事に就き、社会に便益を与えていることを自覚し喜びを感じている人は、より多くの報酬を期待する権利はないということだ。そして、反対に自分の仕事は有害で無意味だという認識に苛まれている人は、まさにこの理由によって、より多くの報酬を受け取ってもよいという感覚も存在しているのだという。
この説が正しいとすると、「やりがい搾取」と「ブルシット・ジョブ」とは、コインの裏表の関係と言える。
 
ブルシット・ジョブの政治的影響
最終章である第七章では、現代の労働状況のもつ政治的合意について、また、それを脱出する一つの方法について考察する。
ブルシット・ジョブの存在は、仕事に意味を求める人間の性質にも、合理性を追求する経済の原則にも反している。つまるところ、ブルシット・ジョブの存在を許す現代の労働状況がこのようなかたちになっているのは、政治的な力なのだ。
また、この本では、あまり政策的な提言は好まないというものの、この本で論じてきたジレンマを終結させる構想の一案を示している。
それはベーシックインカムだ。仕事と生活とを切り離すことができれば、ブルシット・ジョブから始まるこの本で論じてきた問題を終わらせることができるという。
 
・まとめ
この本は、現代の資本主義社会において、あるわけないという思い込み故に、(薄々気付いている人はいたものの)これまでほとんど言われなかった「ブルシット・ジョブ」というものを正面切って論じたものだ。
人類学者である著者の手にかかれば、僕たちが空気のように当たり前に感じている民主主義・資本主義社会が、まるで奇妙な慣習にとらわれた未開の部族のように描かれる。『負債論』も、そのような手法で、「負債」というものを現代の世界から離れて捉えなおした刺激的な本だった。
この本も、人類史を通して、「仕事」そのものを捉えなおすものとして楽しめた。
また、コロナ禍の真っ只中にあり、AIへの期待と不安が大きい現代において、今後の仕事というものを考えるにあたり、この本が与える示唆は大きい。
例えば、機械の発達が肉体労働者の不利益になったように、AIの発達で情報部門の仕事が現象するかもしれないという話は最近よく聞く。また、コロナ以後、リモートワークが進んで、仕事をしていない管理職が浮き彫りになった話もよく聞く。するとブルシット・ジョブなんてものは、これから消えるのかもしれないとも思われる。
確かにある程度はそうなるのかもしれない。でも、この本を読めば、話はそんなに単純ではなく、「とにかく雇用を守る」というブルシット・ジョブの存在を補強する強力な政治的な力も存在することが分かる。
また、今の政策を見ても、雇用を守るために助成金は多く支払われているけど、看護師や介護士などのエッセンシャルワーカーはヒーローとして奉れているだけだ。これは、この本でいう「社会的価値の高いエッセンシャルワーカーの経済的不平等」の議論に当てはまる。
このように、読み物としても面白いだけではく、今後の仕事というものを考えるにあたり話を発展させることのできるネタを多く含んだ本だった。

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