読書について

・はじめに

 読書をした方がいいというのは、皆なんとなく思っていることだとは思います。

 「つべこべ言わずに良書を読めばいいんだよ」という意見もあります。

 例えば、読書家のバイブル「読書について」でショウペンハウエル先生はこう言っています。

 比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである。彼らの作品の特徴を、とにかく論ずる必要はない。

良書とだけ言えば、誰にでも通ずる作品である。このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する(『読書について』岩波文庫)

  でも、具体的に読書の何がいいの?という疑問は当然わくものです。

 以下では、僕が思う読書のメリットについて紹介したいと思います。

 

 第一章 読書のメリット

・1 巨人の肩の上に立つ

 ・2 自分をつくる

 ・3 世界が広がる

 ・4 謙虚になれる

 ・5 コミュニケーション力が向上する

  第二章 もっと大切なこと

 ・1 自分の頭で考える

 ・2 改めて読書の必要性とは?

 ・3 インプットにおいて読書が最も優れている理由

 第一章 読書のメリット

・1 巨人の肩の上に立つ

 読書のメリットとして、まず第一に、今まで知らなかったことを知ることができる、ということが挙げられます。

 当たり前のこと言ってるようですが、読書の素晴らしさは、この一言に尽きると思います。

 過去のあらゆる天才が死ぬまでに残しておきたいと思った叡智を、本を読むことで自分の思想に取り入れることができるのです。先人が積み重ねた叡智が、書店で手軽に買えるのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 しかも数百円~数千円という、お求めやすい値段でです。これはもう、タダみたいなものなので、本はケチらずに新品で買いましょう。さすがに全集とかになるとお高いですが、それはまぁ図書館とかで読みましょう。

  アイザック・ニュートンが用いたことで知られる言葉で、「巨人の肩の上に立つ」というものがあります。

 「先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見する」という意味です。この言葉は、論文や書籍の検索が可能なGoogleのサービスである「Google Scholar」のトップページに表示されています。

 過去の名著を読むことで、正に「巨人の肩の上」に立った目線で世界を見渡すことができるのです。

 わかりやすい例を挙げるなら、「幽遊白書」に出てくる「戸愚呂兄弟」のうち、戸愚呂弟の肩の上に乗ってる戸愚呂兄の方がどことなく賢そうですよね?そういうことです。

・2 自分をつくる

 読書の第二のメリットとして、自分(の内面)をつくることができる、ということが挙げられます。

 読書の必要性を説く際、本を食物に喩えた比喩がよく使われます。

 食物が肉体の栄養であるのに対して本は精神の栄養というわけです。

 読書をすることで過去の天才の思想を吸収して、自分の思想に取り入れることができるのです。

 人間は知ってることでしか考らえれません。知識(栄養)が少なければ思考が貧弱になります。

 人は、生きるために、健全な身体を作るために、そして楽しむために食事をします。

 読書もまた、食事と同じ理由において人にとって欠かせないものであると思います。

・3 世界が広がる

 読書の第三のメリットとして、世界が広がる、ということが挙げられます。

 単に知識が広がるのではなく、文字通り世界そのものが広がるのです。

 どういうことか?

 言語学者のソシュールは、「世界は言語である」と考えました

 つまり、言葉はものの名前でなく世界(概念)そのものであると考えたのです。

 もうちょっと具体的に言えば、言語化されることによってはじめてモノ・コトは、「私」の世界に存在するのであって、言語化される前の「名前をもたないモノ・コト」は存在しないということです。

 ソシュールの言語観をわかりやすく説明した内田樹はこう言っています。

 英語のdevilfish「悪魔の魚」は、「エイ」や「タコ」の両方を含む概念です。・・・このような包括的な名称は日本語にはありませんから、「悪魔の魚」なる生物は英語話者の意識の中にだけ存在していて、日本人が日本語で思考する限り、概念化することのできない奇怪な生物だということになります。(『寝ながら学べる構造主義』文春新書)

 つまり、英語圏の人々は、日本人の想像を絶するくらい「キモい!食うなんてとんでもない!」という意味を込めてエイやタコを含む概念として「悪魔の魚」という言葉を使うのですが、エイやタコを日常的に食べる日本人の世界には、「悪魔の魚」という概念はそもそも無い、という話です。

 このように言葉を知らなければ、そもそも概念として認識することができず、逆に言葉を知ることで世界が広がるのです。

 また、読書中、ある一文に出合うことによって、今までぼんやりを分かっていた概念がはっきりと言語化され、頭の中がクリアになるような快感を覚えることがあります。このような知的快感も、言語化によるものです。

 本とはつまり言葉の集まりですから、読書を続けている限り、このような言語化による知的快感に出会えると思います。

・4 謙虚になれる

 読書の第四のメリットとして、謙虚になれる、ということが挙げられます。

 先人の叡智に触れ続けることで、未熟な自分が恥ずかしくなるからです。

 先の記載で、僕は、先人の叡智を巨人に喩えました。

 読書を続けたことでより視野が広がると、自分が乗っていた巨人の足元が見え始めたことに気が付きます。

 巨人の足元はどうなっているでしょうか?

 そこにはもっと大きな巨人がいるのです!

 何と、自分が乗っていた巨人もまた、もっと巨大な巨人の肩の上に乗っていたということが分かります。

 自分が大きいと思っていた巨人は、そんなに大きくなかった!

 これには誰もが衝撃を受けるはずです。

 わかりやすい例を挙げるなら、「あの戸愚呂がB級妖怪!?」みたいな話です。

・5 コミュニケーション力が向上する

 読書の第五のメリットとして、コミュニケーション力の向上が挙げられます。

 多様な著者の思想に触れることで、多様で柔軟な思考ができるようになるのです。

 これにより、様々な人と質の良いコミュニケーションをとることができます。

 では、質の良いコミュニケーションとはどういうものでしょうか?

 一言で言えば、コミュニケーションの良し悪しは、会話に脈絡があるかないかで違ってきます。

 斎藤孝の『読書力』(岩波新書)によれば、会話に脈絡があるかないかは、読書習慣の有無の影響を強く受けるそうです。

 脈絡のない会話とはどういうものでしょうか?一例を挙げてみます。

てか単位落したわ↓↓

マヂで?超ヤベェじゃん

てか腹減ったわ↓↓

マヂで?超ヤベェじゃん

 左の男性の会話に注目して下さい。前の話題や、相手の返事に対して全く脈絡のない話をしているのが分かります。

 では脈絡のある話し方とはどういうものでしょうか?

 『読書力』ではこう記載されています。

 では、脈絡のある話し方とは、どのようにしてできるのか。それは、相手の話の要点をつかみ、その要点を引き受けて自分の角度で切り返すことによってである。通常、人の話には幹と枝葉がある。しっかりと相手の言ってることを押さえて、それをより伸ばすように話をするのが会話の王道だ。この幹をつかまえる力は、読書を通じて要約力を鍛えることによって格段に向上する。(『読書力』岩波新書)

 

  第二章 もっと大切なこと

 以上、読書のメリットについて僕の考えを述べました。

 しかしながら、散々語った上で申し訳ないのですが、実は、単に読書をしただけでは、上記のようなメリットを得られません。

 どういうことか?

 それは、読書よりもよっぽど大切なものがあるからです。

・1 自分の頭で考える

 上記した読書のメリットは、読んだ内容を自分の頭で考えてこそです。

 ショウペンハウエル先生はこう言っています。

読書は思索の代用品にすぎない。読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。

絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。(『読書について』岩波新書)

 つまり、読書は自分の代わりに他人に考えてもらう行為であって、自分で考えなきゃ意味ないよ、ということです。

 自分の頭で考えなければ、巨人の肩の上に乗ったって何を見てるかわからないでしょう。

 自分の頭で考えなければ、精神の栄養を消化し血肉とすることはできないでしょう。

 自分の頭で考えなければ、世界は狭いままでしょう。

 自分の頭で考えなければ、聞きかじった知識を披露してインテリぶるような、謙虚さとは程遠い人物になるでしょう。

 自分の頭で考えなければ、曖昧な知識で理論武装しちゃって、相手の質問に対して脈絡のない答えでしか返せないような人物になるでしょう。これでは質の良いコミュニケーションは望めません。

・2 改めて読書の必要性とは?

 じゃあかえって読書は自分の頭で考えることの邪魔になるってこと?

 いいえ、実は真逆です。自分の頭で考えるために読書が必要なのです。

 どういうことかというと、ショウペンハウエル先生はこう言っています。

我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。

思想家には多量の知識が材料として必要であり、そのために読書量も多量でなければならない(『読書について』岩波文庫)

 つまり、自分の頭で考えるといっても、材料(知識)がなければ考えることはできないということです。そして、知識を得るためには読書が最も優れています。

 だから読書をする必要がある。というわけです。

・3 インプットにおいて読書が最も優れている理由

 先ほど、僕は「知識を得るためには読書が最も優れている」と言いました。

 「考える材料として知識を得る必要があるのはわかった。でも単に知識を得るだけならテレビやインターネット等の他の情報伝達媒体でもいいのでは?」そう思われるかも知れません。

 でも、自分の頭で考えることが前提なら、やはり読書が最強なのです。その理由を説明します。

 読書というか「本」の良いところは、自分のペースで読めることです。

 気になるページの一部分があれば、そこで手を止め、あるいは本を閉じて納得のいくまで考えることができます。

 そうして時間をかけてゆっくり読み進めることができるのが、他の情報伝達媒体と比べて本の優れた点だと思います。

 これが、テレビやラジオ等の一方向のメディアでは、このように一旦止めて熟考することができません。

 対人のセミナーや講義でも同様です。

 ではインターネットはどうでしょうか?インターネットは一旦止めて考えることもできなくはないです。

 でも、残念ながら、今のところインターネットの情報は質が良くありません。

 そもそも、インターネットの情報は、すでに出版され、売れた本の内容を基にしたものだったりします。

 結局、良質な一次情報にアクセスするには、読書が一番早いのです。

 また、最近のインターネットの傾向として、ネットで公開されている一次情報をパクったキュレーションサイトや量産ブログ等のクソみたいなサイトが大量発生しています。

 腹立たしいのは、これらクソサイトが検索上位に引っかかることで、肝心の一次情報に辿り着きにくくなることです。

 ネットの中でも比較的質の高い情報が、幾つものいいかげんなクソサイトの層に埋もれているわけです。

 まるで、クソの上にクソして、表面をならして、更にその上にクソして、また表面をならして・・・そうやって幾層に重ねあげたクソのミルクレープのようです。

 あなたならどうしますか?カフェで、クソのミルクレープが出てきたとしたら?

 「臭い!!そして苦い!!」そう言って怒ることでしょう。

 なんの話でしたっけ?

 まぁ読書最高ってことです。